花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】「法律を学ぶ私」

★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子の文章です。大正15(1926)年刊『ひげ』(改善社)に所収。

★関西大学法学部に在学中からすぐれた才知が評判となり、大阪朝日新聞記者にスカウトされた兼子は、『婦人』『週刊朝日』など多くの雑誌にも評論や随筆を寄稿。そこから評判の文章を抜粋して刊行したのが初の著書『ひげ』です(ここで紹介する「法律を学ぶ私」は『婦人』大正14年2月号が初出)。『ひげ』は売れに売れ、発売1か月弱で四版が発行。このとき、兼子23歳

★すでに在学中から「ドイツ法学を学ぶ女大学生」として話題を振りまいていた兼子は、「なぜ女のあなたが法律を学ぶのか」としきりに質問を受けており、それに返答したのがこの「法律を学ぶ私」でした。

★「女」の自分への好奇のまなざしや抑圧、「男が勝手に想像した女性」像という偏見……この文章は、こういった女性差別をなぎ倒していこうという高らかな決意の書でもありました。また、権力や権威を相対視する鋭さも感じられ、自分が選び取ってきた道へのゆるぎない自信にあふれています。

★この「法律を学ぶ私」が大阪朝日ほか一社の目に留まり、幹部らからの熱心なスカウトをうけて記者に採用。『ひげ』巻末の「北村兼子一代記」によれば、「固すぎず人ざわりがよく、然(しか)も一度ペンをとれば男性的勇猛にたちかへる兼子さんの性質を何より喜んで、従来の看板式婦人記者とは意味を異にし、男のヒゲ武者記者と同待遇に取扱ふことになっている」――つまり、男性記者と同様の待遇で採用されたのでした。

***

 貴方が法律をやりかけられた動機は何からですか。

 私はうるさいほど探求的なこの問いに接する。原因を探らずにはおかぬまなざしで、隼(はやぶさ)の鋭さをもって私の顔面筋肉の運動に注意する。瞳がちいっと変に動いて唇を噛めば、失恋の痛手からとでも解される。私はたまらぬ。

 私はつねに第三者の立場にある。人と話をしていても私は当事者になり得ぬ。あまりに冷たすぎる性かもしれぬ。有名な演説使いが演壇から群衆を熱狂させているときでさえ聴衆の一人に交じっているその私自身が、だんだん頭が冷却して、何だ馬鹿らしいというようなことが、頭からコビリついて離れぬ。なんだか冷蔵庫に吊られている鱒のように、腸(はらわた)まで氷化しているような気がする。小さい時から叩き込まれた漢学が私をこのように、油抜きにしたのかもしれぬ。

 悲しくなって泣いても、男が作った女性の悲哀を主題とする、小説のような捏造的な悲しみに浸っているのは、一瞬間にすぎぬ。涙が過去の惰性をたどって、涙腺から分泌する詩的な情緒に浸らんがために、私が嘆いていると思われると物が間違う小説でも法律でも、たいていは男性の手に成ったもので、その調子で女の心を忖度せられては勝手が違う。女というものは本調子ばかりでは行かぬ。二上(あが)りも三下(さが)りもある。雨蛙の心で油虫の感情を察しるって、それは嘘だ。が、その嘘や間違いが堂々として、通用するから嫌やになる。癪に障る。みるみるうちに私は女らしさを失って行き、男が勝手に想像した女性を突き破って進むか、または現在そのままの状態を無理に肯定するか………のほかに途(みち)はない。

 語学を志したが、だんだん毛唐じみてくる友を見ているといやになる。クリスマスがどうの、復活祭がどうのでお正月を忘れかけたので旗を巻いた。英語でなくて酔い語で通弁や会話で渡ろうとは思わぬ。私は蓄音機になれないと思った。洋服を着ればクリスチャンかと問われる。宗教によらなければ生きていけないような女とみられるのが心外である。見損なってもれいますめいと舌を巻きたくなる。

 私はそんな、基督はこう言われた、釈迦はこうされたというようなことを、いかにも口授でも受けたかのような受け売りだの、安っぽい感情の押し売りは、ようせぬ。基督も釈迦も天理王のなんとか婆も私の目からみて優劣はない。私は自己を信ず。そして過去を探らぬ。未来を追わぬ享楽と慰安とは現在に求めて充分である。しかし私はデカダンで言ってるのではない。私の心は些(さ)の頽廃も許さぬ。

 うわすべりのした社会の表面に浮いて暮らしたい人たちが相集まって、いわゆる宗教の化け物がヤレ何会とか、慈善市とかで東奔西走している。会費とかで少なからぬ負担を、シブシブ財布の底をはたいて(名前を出してくれるがために会費を出したがっている篤志家も例外としてはある)さて嬉々として白粉(おしろい)と衣服の共進会に出席し、議事とかなんとか大きなことで、終始時間を空費して家庭を顧みぬ。子供のことなど超越し、美しい装(なり)を見てもらうことによって徹底的の自己満足を得、お天気はいいですね位の会合を強いて意義あらしむるよう、各自の心に勝手な解釈を値つけて帰る。結局は患部二、三人の脳味噌の割り出しで原案可決となり、衆愚政治の小さな模型を作る。たまに自己を主張する人はあっても、マアマアでうやむやになり、何回かの洗練の結果、都合よく去勢される。

 婦人参政権獲得運動も一種の売名作として取り扱われている間は前途は長い。私はくすぐったい気になって真正面からとても凝視できぬ。民法も知らず、憲法も知らずしてどうして政治に参与されよう。法治国に生まれたものが、国法をしらずに盲動するほど、大胆なものはない。ヒステリーの興奮では政治はできぬぞよと、大本教式に一喝してやりたい。養われていながら男女同権を夫に迫るより以上に、事が大きいだけに晴がましい。枝の柿を飛びついて食おうとする前に梯子(はしご)が必要である。人形の家が建ったところで、中に入れる人間はやはりでくの坊だ象牙の塔だから、象牙の塔へ入れるので無意味の移転ではなかろうか。

 女性自らが目覚めて歩調が定まれば、南船北馬、腰弁当で頭を下げて頼み回らなくても選挙権くらいはくれるし、また発言権も得られる。木によって魚を求めるより退いて網を結ぶにしかずという。これが私の法律を学ぶ振り出しで、目下骸骨をコロがしてせっかく道中の行きつ戻りつで、いつ上がるかは問題にしてはいない。しかし私は今進みつつあることについての懐疑はかなりに根深いものである。だが何年かの後には必ず役立つものであることを信じている。

 女性と感情は引き離せないものと相場が定まっているなかに、ひとり第三者として判断して行ける私の当然の帰着点として、おおかたの婦人の行く紋切り型の道筋たる宗教や文学から法律に右へ廻れをやったにすぎぬ。

 六法全書なんか見るとカチカチになりましょうと人が言う。堕落する人は境遇によらず堕落するように、法律を読んで変にコヂれるような人はやらなくても脇へそれる世の中に味のないものはない。法は日常生活の様式を文字に映写したもので、これを活動せしめるとはなはだ面白い。それは吾々の進むべき軌道ではなはだ滑り心地のよいものである。

 なにびとも法を無視して行動することはできぬ。新しい人は構わぬと言おうが原始時代でも不文の法律はあったので、それがスクリーンに映ったにすぎぬ。なにも算盤(そろばん)や鍬(くわ)をおいて六法を読めとは言わぬ。しかし法律を特別のものとして異端視するには及ぶまいと思う。ことに婦人には婦人の天分がある。天分のない多くの人が、天分のあるごく少数の人の具に供せられることは、有難迷惑であるに違いない。

 多くの人は法律の妙味を知らないで、ただ頭を堅く干からびさしてしまうものと決めているようで、女子は言わずもがなである。もし、法の精神を取り入れた日常生活を営むときはいかに過去の相違に思い当たることであろう。法律は人の作ったものであるから、人を離れては法がないはずであるが、現在の法はあまりに超人的で世間と交渉が薄いと思う。

 特に女性とは間隔が多い。私は家庭に法律を取り入れてみたいと思う。それは夢想だと片づけてはいけない。法文が口語体に書き直される時分には、必ずこの気運が到着するものと思う。こんこんとして尽きぬ泉、それこそわが日常生活を規律づける法の賜物でなくて何であろう。

 未(いま)だ系統だって法律を修むるものなき吾国において、私がやりかけたのは何も奇をてらってではない。法律は私の得手ではないがしかし、国艱難内外多事の秋(とき)に私を家庭にあらしめて火吹竹を吹きながら、入超に悲憤したり、お汁(つゆ)の加減を試みながら婦人参政権を考慮さしめるのは、あまりに酷であると思うがゆえに、何千万かの女性のうちで桁を外させてもらって、第何章第何条と逐条に研究しているのは、学究になるつもりでもなければ、また煽動家になりたい野心でもない。ただあまり遠からぬ将来に、国家は私を必要とする時期があろうと思うだけなのである。自惚(うぬぼ)れか何かは知らぬがなんだか左様な暗示を受けているような気がしてならない。

 社交界のえらい婦人たちが、美しい装(なり)で活動していらっしゃる、その中から外れてコツコツと法文を研究している私をいぢめないで、騒然たる雑音のなかにささやかな音を呑んで呼吸する少女を見逃していただきたい。


  梟鳴く鎮守の森の風寒け

      夜学の帰り飢ゑてかつ行く


  獰猛の形相をもつ狆なれど

      つくづく見ればをおどけてもあり


  たなそこに吸殻はたきまろばせて

      茛吸ふ爺農に老けたり







大阪朝日新聞は現・朝日新聞大阪支社の前身

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