花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】植民地・朝鮮観


★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子の文章です。昭和5(1930)年刊『地球一蹴』(改善社)に「いま亜細亜を離れる」と題して収録。

★関西大学法学部に在学中からすぐれた才知が評判となり、大正14(1925)年に大阪朝日新聞記者にスカウトされた兼子は、法学・政治・経済などの幅広い知識を駆使して取材・執筆活動を開始。明快かつ鋭い論旨、ユーモアを交えた小気味いい文章が魅力で、ジャーナリストとして天才的な能力を発揮しました。

★女性の政治参加を訴え続け、昭和3年からは国際的にも活躍。文字通り世界中を訪ねて各国の女性たちと連帯し、その見聞をまとめた評論・随筆などを収めたのが『地球一蹴』です。ここでは、当時日本の植民地であった朝鮮に対する考えを述べた部分を、「いま亜細亜を離れる」より抜粋します。

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 日本人が多いから、京城までは内地旅行とちがわなかったが、京城から初めて朝鮮気分になった。

 内地でみた鮮人と、朝鮮に居る鮮人とは質がちがう、こんな純真な原始人を統治しにくいというのは、徳をもってすることを忘れて、法律で縛ろうとするからである。

 鮮人を、当日本の型にはめ込もうとするところに、内鮮の軋(きし)りができる。日本人だって内地型をいいものとは思わない。まして習慣を異にする鮮人が快く思わないのは当然の超当然である。

 朝鮮は官位の売買が行われているというのは、嘘であらねばならぬ。昔にあったことで現代にそんなことがあっては大変だ。そんないやな噂は何人かの不徳の致すところであろう。朝鮮へ臨む官吏は有徳の人を選んでほしい

 家族制度を破壊することは、内地でも反動的異議はある。朝鮮でも思想をかき乱す。拓殖省を設けて朝鮮を政争の渦中に巻き込もうとするのは、噂だけでも鮮人は気を悪くしている。

 朝鮮に教育網を張って不逞人の温床をつくるのと、支那留学生を優遇して排日の幹部を養成するのと、大学を増加して社会科学の人口を奨励するのと、この三つは日本教育の特徴である。国幣をつかって国家の方針に背いたものを仕上げる。方針が悪いか教育が悪いか妙な制度である。

 朝鮮を併合したのは国境防備の必要と、内地に咽(むせ)ぶ人口のはけ口を求めるためではなかったか。航空機の発達は国境防備の必要を稀薄ならしめた。この見渡す限り禿げた山と荒れた野とをそのままにして、内地人は来らず、鮮人は去る、去って内地に移住する。内地労働界ために賃金の脅威を受けるうえに失業率の二割を加えた。船会社の競争は十一円の船賃を三円にまけて鮮人を満載して内地へ運ぶ。失業放浪の人が内地に行きわたる。

 東拓がようやく二万戸の移住民を朝鮮へ送った間に、向こうさんからはすでに五倍するお客を内地に送った。鮮人の内地へきたのは十七万千人というのは公称であって実数は三十万といわれ、まったくの文盲が四割を占め、八割は未婚の壮年男子で、性の悩みをコカインに訴え、変質者となって内地を徘徊する。

 内地から渡鮮したものは懐手の時間が多くて、働くことを厭い、搾取を図り、遊んでいてもうかる方法ばかりを考えて鮮人にいやがられる。

 戦後の生活苦は、アメリカを除いては世界的、普遍的であるにかかわらず、鮮人はこれをもって日本政府の施設が悪いために鮮人が苦しんでいるのだと思う。意思が疎通しないからお互いに困る。

 河邉の荒廃地、山麓の傾斜地、もったいないほど棄てられてある。鮮人二百万、その八割は農民ではないか。農政は朝鮮統治の全部である、けれども日本の米穀法に矛盾がある。鮮米増収で内地の農家が苦しめられ、鮮米減収で内地の俸給生活者が困る。

 朝鮮農民の九割は小作で米の消費者であるから、関税を高めても米を買い上げても、喜ぶ者は一割にすぎない。支那には常平倉という米価調節の制度があって、朝鮮にも行われた時代があったが、それは外国貿易のない過去の善収であって、現在では困る者のほうが多い。

 目に触れる景象は、島国日本でもなければ、大陸支那でもなく、半島朝鮮の風物を揺るがせて白衣寛袖の人が徂徠する。関釜連絡船が内鮮百マイルをつなぎ、鴨緑の鉄橋が鮮支三千フィートを握手せしめる。亜細亜を疎通する交通はできても、人情が切れぎれになって相排撃し合う。シベリヤ出兵よりはましだが、三億の事業費を注ぎ込んでも鮮人は喜ばない、同化しない。



【めも】


・この記事の前年、兼子はベルリンで開催された第11回万国婦人参政権大会に出席し、英語とドイツ語で演説し、喝采を浴びた。さらに、各国代表による平和示威運動にも加わり、ラジオで放送演説も行っている。6月下旬からはスイスやフランスイギリスなど欧州をまわり、渡米。『地球一蹴』が発売された翌昭和5年になると、台湾や香港、中国、朝鮮半島、満州などをまわった。

・なお、ヨーロッパから帰国する際、兼子は世界一周中であった飛行船ツェッペリン号に乗船する手はずだった。ところが、朝日・毎日新聞社の記者が報道圏の侵害を主張して彼女の乗船を妨害、乗船はかなわなかった。帰国後、この騒動を「乗る乗らぬの記」として痛快エッセイに仕立てている。




『地球一蹴』口絵。女の脚が地球を蹴って(駆って)いる最高のイラストは、藤田嗣治によるもの。当時、パリに住んでいた藤田嗣治と知人の紹介で親しくなった兼子は、市内各地を案内してもらったり、肖像画を描いてもらったりした。girls,run the world‼‼‼‼

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