花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】「怪貞操」(後編)

★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子の文章です。昭和4(1924)年『女浪人行進曲』(婦人毎日新聞社)に所収。抜粋して掲載します。(…)は中略記号。

★関西大学法学部在学中にスカウトされて大阪朝日新聞記者となった兼子は、たちまち人気記者に。ユーモアを交えた明快かつ鋭い文才を発揮しました。

★記者生活1年で3冊の著書を出版するなど大活躍するなか、兼子は社会部の企画で女給としてカフェーに潜入取材をしました。この企画は大当たりしますが、大衆紙からデマや激しい攻撃――とりわけセクシャルハラスメントや交際強要被害を受ける要因のひとつとなります。

★兼子は、著作「怪貞操」と同名のレコードにて反論。「怪貞操」は、男社会の欠点を激しく衝きつつ、女性(職業婦人)の人権、反戦・平和を高らかに謳いあげており、兼子らしい名調子が冴えた作品です。とくに奮っているバチ切れワードは昨今でも通用するものばかり。伝家の宝刀「貞操」で女を一刀両断するやり方に対しては、返す刀で男尊女卑の弊害をこれでもかと言語化して斬りまくっており、痛快です。

★前編はこちら、中編はこちら


 かような女があろうと想像に現れた女、それを深刻に書けば、書いた作家――とくに女作家はそういう境遇を実験したことのある堕落女であろう。あるいは、自分が堕落してきた事柄を書いているのであろうと、小説中の女を作家そのものにして堕落呼ばわりをする。私が書いた『魔ヶ淵心中』に出た女が作者自身の体験であるからそれで北村兼子が堕落しているとは、あなたがたには脳髄は贅沢にもっているのかと問いたくなる。男性は女性より脳髄の量が重いそうだが、外見上には性別の区別が見えないから割って見なければならぬとは、人間も退化してウニの仲間に入ってしまいそうだ。(…)


 永劫に一人歩きのできない産業を保護して、国際的に孤立し、国内的に物価高をあおるのは喧嘩本位の自給自足の愚策である。道路を拡張して、その目的は国民の福祉を増進させるが目的でなくして、まさかのときに軍用自動車を走らせるのが本当の目的だ。飛行機を奨励しても文化に貢献させるが目的でなくして、まさかのときに敵に頭上から爆弾を見舞うのが目的だ。船舶は御用船に染料は弾薬工場にすべてまさかのときの用意で、まさかということは非常のことで、非常というのは地震とか大水とかのことでなくて、要するに喧嘩のことである。

 一国を挙げて無頼漢の家庭のようにならしめ、平時と戦争との二重生活は貧乏国民にとって贅沢の骨頂。尚武国などと時代遅れの腕力沙汰で、不逞男子の養成はなんという狂暴政策だ。足らぬ金を割いて喧嘩の準備に使うから、生活は苦しく、焦燥の気分は全国をおおうて鬱陶しきことたまらない。こちらに武ばった手をふりまわせば向こうだって脚で蹴る用意をするから、差し引き同じことだ。今頃に戦争なんかを始めて勝っても負けてもつまらないことは、この頃のドイツとフランスを見てもわかる。こんな時代おくれの考えは、闘争の狐に憑かれている男子専制の幻覚であるから、女性は人類の幸福のために厳重な抗議を申し込まねばならぬ。(…)堕落職業婦人を外交官に採用する勇気はないかしら。


 外交もまずければ内交もまずい。卑劣な男性にかかっては職業婦人もおしまいだ。よってたかって紙上堕落を押しつける。私がこの本を書き始めたのが昭和×年の十二月二十五日で、新聞社勤めの片仕事だから以外に暇どって、いまこの稿を書いているのが翌年の一月二十五日である。

 書き始めたときには私の醜聞が載っていた新聞雑誌の数が二十三、それがただ今では三十五になった。もちろんこれは私の手に入ったものだけだが、私の知らないものはこのほかにいくつあるかしれない。そのほかに、私を擁護してくださったのが十三、私自身で書いた駁論の載っているのが七つある。


 妙なことは、男が特別の生活を女性に強いる傾向のあることで、相互の理解ができないで、離ればなれになって社会を構成しようとする。それというのも、教育が二種に分かれ、男女共学を拒否するから起こる誤解も手伝って、硬軟両球の貞操観をかけ合うことになる。

 そんな混乱中へ私への投書が机上に山をなして、そのうち辞職を勧めるもの、勇気をつけてくださるもの、恋愛は自由だからしっかりやれとケシかけるもの、もういい加減に職業をやめて家庭の人となれというもの、二十八歳まではみっちり勉強せよというもの、いちいち承っていた日には、体が百あっても足らないほどのご指示に恐縮してしまう。(…)

 とりわけ目につくものは、東京へ来いというもの。これが十何遍もある。(…)ここで落ち着いて修行するがいい、という趣旨である。

 ご親切はありがたいが、それでは純な意味の東京移住ではなくして、出奔であり逃走であり、大阪の食いづめである。私は大阪にへたばりついて争ってみたいと思う。これは私の小さな意地であり、またこんなことで生まれ落ちたこの土地を去ることは残念であり、未練もある。



 自分ではかえってわからないが、こんな酷い目に落ちた以上は、お上品な記者としてお座へ出せないほど傷を受けたものかもしれない。もしそうであっても、私の行くべき道は別に開けている。足さきを転換すればそれでいいのだ。そして、歌いたいときは大声で歌い、泣きたいときはわっと泣いて、気分をおっ開いて暮らしたい。東洋風に感情を偽って暮らすことはもう飽き飽きした。まして、情意の発動を抑えて、こそこその恋などはまっぴらだ。(…)

 この調子ならこれから私はどんな迫害に遭うかもしれない。私自身よりも、私の周囲のものが心配する。私は行くべき運命のところへ行くだけのことと思いながら、それでも怪貞操を書いて応戦しようとするところに若い血があると思えば、自分ながら勇気が出る。

 

この本がどんな気持ちでみなさんに受け入れられるか、そんなことは考えてみたくない。私を信じてくださいと、信用の押し売りは遠慮しよう。ただみなさんの批判に任せるばかり。この本を読んで何の変哲もなかったと失望するなかれ。変哲なんかあっては私がたまらぬ。西洋の映画で、一人の女が道に倒れる。同時に自動車が突進してくる。あら!と思う。轢かれたらおもしろいと思うかもしれないが、轢かれたら助からぬ。変哲がなくて幸せだ。

 私はこれからまだまだ勉強して、他日の大成を望もう。私はこれから伸びて行かねばならぬ。こんな小ぜり合いで職業悪口屋のエキストラを相手にいがみ合っていることは耐えられないことではあるが、これも思いようでよい経験であり、また世渡りの一波乱であるかもしれないが、婦人記者に品行点をつけようなんか、そもそも心得違いの大関だ。(…)

 世道人心のためにこんな婦人記者を放逐してしまえと吼えるが、私は世道人心のためにこんな記事をねつ造する男性記者に退去してもらいたい。(…)弁解が弁解として通用しなければ、それまでのこと。私は棄てておくだけのことである。群集心理の恐ろしいことは今に始まったことではない。(…)

 告訴恐ろしさに和解を申し込んできた新聞もあるが、黒か白かの二タ道、ごま塩でありえないから、既成政党のように融通のきく世才は持ち合わさない。(…)職業婦人は貞操を文明の春風に触れさせて、伝統の氷結から解放してもらいたいと望むのである。

 これまで根気よく嘲罵してくれた朦朧記者にむかって、各個撃破を試みるも面倒とうち棄てておいたが、冬期休暇を得たから束にしてこの際にこの本によって一撃にかっ飛ばしておく。(了)






林芙美子『放浪記』の舞台。芙美子は女給で食いつないでいたことで有名。昭和5年、兼子とともに「婦人文化講演会」(婦人毎日新聞社主催)のため台湾に赴いている。兼子、芙美子、望月百合子ら『女人芸術』執筆者が招かれた

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