花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【山を動かした女たち②】日本女性初の理学博士・保井コノ

「日本女性初の〇〇」として山を切り開く

少し前、twitterで保井コノ(やすい この)について書いたところ、まあまあ反応がありました。真魚八重子さんのツイートに関連して書いたものです。↑


コノは明治13(1880)年生まれ。理系の女性学者として先駆者であり、昭和46(1971)年に92歳で死去するまで、ほかにも「日本女性初の」偉業をなしとげています。


1、明治38(1905)年、日本女性として最初の科学論文を執筆(『鯉ノうえーべる氏紀器に就いて』)

2、明治44(1911)年、日本女性として初めて海外の学術雑誌に論文が掲載される(『山椒藻の生活史』)

3、昭和2(1927)年、日本女性として初めて博士の学位が東京帝大より授与される(『日本産石炭の植物学的研究』)


石炭植物の構造変化を明らかにした3の研究によって、「女性博士第一号」に。コノは日本各地の炭鉱を訪ねては地下坑道まで降りていき、顔を真っ黒にしながら研究に没頭しました。炭鉱でコノを案内した鉱夫たちは、驚きつつも協力してくれたといいます。

コノが学術論文しか書かなくなった理由はツイートした通り。でも、もちろん自らの意思で学問の世界に入っていたので、役人からのひどい言葉を聞いたことで、結果的には研究者としての近道に進めた…ような気もします。


幼いころから、学問に向かう環境もそろっていました。両親は、小学校で男子をいじめるほど元気のいいコノをのびのびと育て、卒業後は娘の希望を聞きいれ県立師範学校へ送り出してくれました。当時は高等小学校を出ると働きに出るのが普通の道。コノは師範学校で理科に興味を持つようになったので、自主性にまかせてくれた両親のおかげでした。


三本松(香川県)という港町で育ったことも幸いしたように思います。瀬戸内海の港町は古くから海外の文物・人が往来した下関、上方、日本海、北海道を結び、進取の気風に富む土地柄。商売がさかんで活気があり、廻船問屋をいとなむコノの両親も学問好きの新しもの好きで、幼いコノに『学問のすすめ』を読ませたといいます。


高等小学校を卒業した年に折よく女子高等師範学校(現・お茶大)ができ、コノはここを終世、研究の拠点とします。戦前の日本で女子の高等教育の場といえばこの女高師と奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大)だけでした。

72歳で退官するまで女高師で研究者・教育者として歩みつづけたコノは、晩年、病床にあっても学術雑誌を手放しませんでした。 


「女のくせに学問なんて」と陰口を叩かれながらも、海を渡り、道を切り開いたコノ。彼女が博士第一号になってから10年で、じつに20人もの女性博士が誕生しました。コノが山を動かさなければ、この歴史も変わっていたように思えます。


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