花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】「最近事件の一考察」


★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子が、記した文章です。『竿頭の蛇』(改善社書店)大正15年(1926)刊に所収。
★関西大学法学部に唯一の女子学生として在学中からすぐれた才知が評判となり、大阪朝日新聞記者にスカウトされ入社。和漢の教養に加えてドイツ法学、英語・ドイツ語……と幅広い知と鋭い批評眼を武器に、ジャーナリストとしての才能を開花させていく。

★ここで兼子が書いている中平文子(のち宮田文子)は、明治21年生まれのハイパー破天荒女。その時代の女性でそこまで…否、人間そこまで手当たり次第にやりたいことをやりまくって生きられるんだ…と呆然とさせるエネルギーに満ちた人でした。とはいえ日本ではおなじみ「妖婦」扱い。さて、兼子はどう見た?

********

 フランスの客舎で情人のためピストルで撃たれた中平文子に絡まる恋愛事件――最近に起こったこの事件を捉えて批判を試みてみようと思います。
 筋道は簡単でありますが、恋愛の舞台が大きく且つ国際的になっております。彼女は伊予の生まれで、名古屋の高女を卒業するや、すぐ家庭生活に入り結婚して三人の子までなした仲を、どうした事情か、やがて離縁になって、東京へ出で文芸協会の女優になったが、小柄で舞台ばえがしないというところから二十五歳の時には職業を換えて中央新聞の婦人記者となっているうち、目下政界で脱党の常習者として知られた某政治家と恋愛関係を起こし、それも長続きせず縁を切ることになったが、その間の事情を露骨に雑誌上に告白して世人を驚かせた。
 それから発心して京都へ来て尼寺で尼になるつもりであったが、そこでも若い燕と妙な関係になり、それから支那へ行って満州辺を放浪したあげく、奉天で実業家の妾となり、また東京へ舞い戻って二、三の恋愛を通過したのち、ある文士と結婚して夫婦でパリーに渡り、その後、帰国して東京で震災に遭い、再び夫婦(夫は小説家の竹林夢想庵)で渡仏し、そこで料理店を経営し、ロンドンとパリ―との間に絶えず往復し、ドーバー海峡の両岸に恋愛の種を蒔いて歩きまわりました。
この女の歩く周囲には必ず異性がつきまとって、いろいろの問題も起きたが、ついに南欧のダンス場で、ある男性から嫉妬の射撃を受けて殺された。殺されたということであったが、あとで傷は左の頬を貫いただけで軽傷であると訂正された……まずこんな経過であります。

 この筋書きは電文によってつなぎ合わせたものですから、そのうちに間違っている点もありましょうが、間違っていても差し支えはありません。というのは、私はなにも中平文子という女性があろうがあるまいが、そんなことは少しも構いません。つまりこんな女があったものと仮定して、まあ小説中の人物と思ってもいいのですが、モシこんな人があって、こういう行為をしたものとすれば、どんなものか、また自分がそんな境遇にあったらドウしたであろうということを批判してみたいと思うのです。このことは私は大阪朝日から出張して堺処女会の講演にもちょっと述べておいたこともありますが、それは処女がたのため、だいたいの倫理的批判をしたまでで、いま少し突っ込んで批判したかったのですが、なんといってもこの会が処女という字を冠していたものですから、おおいに遠慮しておきました。(略)

 彼女が三人の子までなした家を離縁になったという、これが彼女の生活のうちで最も重大な事件で、これが放縦生活に入らしめる動機であります。世間は彼女が貞操をあまり軽く見ていると論じますが、私はそうは思いません。反対に、彼女が貞操をあまり重く取り扱いすぎたものと考えるのでございます。物は重く見すぎても弊害があるごとく、また軽く見すぎても同じ程度の弊害が伴います。貞操は婦人にとって最も尊重すべきものとい点には誰しも異議のないところでございます。しかしある事情によって、どんな事情かは知りませんが、たとえば舅姑に対する意見の衝突とか、家庭の不和とか、まあ世間によくある事柄から、この貞操が破壊せられた時、すなわち中平さんが名古屋で去られた時のごとき、旧道徳からいえば貞女二夫に見(まみ)えずで、いわば傷もの前科者のような待遇を社会から受けねばなりません。その身は貞操を粉砕せられ、環境からは特殊扱いにされる。これは若い女性にとって堪え得べきことではありません。しかし現在の日本はやはりかような残酷な方法で女性を取り扱っているのでございます。

 刑余の人でさえ、なるべく前科を隠してやることにするが社会政策といわれ、破廉恥罪のものでさえ軽きものは選挙権を与えようとするこんにちに、出戻り女に対する世間の差別待遇はなかなか甚だしいものがのこっています。そこで気の強い女であったなら、自分の進むべき路を開拓して更生の大理想を樹てねばならぬ重大な時ではありませんか。しかるにかような試練に出っくわして常識のバランスを失い、つまり、ヤケになって恋愛をもてあそぶ境遇に堕落するということは、気の弱い、そして卑怯なヤリ方といわねばなりません。つまり貞操を重んじすぎて離縁と同時に女の持つすべての尊いものを失ったものと錯覚して独立批判の意識を失ったもの、すなわち極めて弱い方の方針をとって行動したものといわねばなりません。

 われわれ女性は貞操を護るに全力をもってせねばなりませんが、余儀ない事情のもとに、それを破壊せられたとき、言い換えると、自分が十分な善な方法をとっているにもかかわらず、なお免れなかったとき、たとえば人道の左側を歩いていて、自動車にはねられて片輪になったような場合に、こういうような時は飛んだ災難にブツかったものという心持ちになって、世間も見てくれ、自分も過去をあきらめて新しく出直さなければならない、それを世間では女の傷ものとして、車に突き倒されている女性の上を下駄で蹴るような冷酷な排斥を加える。また自分でも再び起きてないものと自涜して、毒皿システム、すてばちズムになってしまうというのはあまり貞操を重んじすぎて、女の将来を殺すものではなかろうか。私は第一歩において彼女が貞操を失ったことを気の毒に思うと同時に、あまり頭が旧式であったために新しき世に出る方角を取り迷ったものと思うのでございます。(略)

 第二は職業婦人の問題、これは女にとっては堕落しやすい危険な生活で、比較的時間の融通がつきやすいうえに、男性と交際する機会が多く、ヂキに妙な噂が立つ、また世間は噂を立てて女性にカラカウ悪い習慣がある。その噂が真しやかに立てられる時、世間はその噂をそのままの事実としてしまう。それが貞操を生命とする女性、気の弱い婦人にとっては堪えがたい悩みで、いちいち弁解してまわれるものでなく、また弁解すればするだけ疑惑は一歩を進めて、とうとう噂を事実化する、湯汚わい女はヤケにならざるを得ぬ、その結果は悲惨な末路に追いこまれる。(略)ある政治家が中平さんをもてあそんだということは、それではなかったでしょうか。現今の社会組織として、こんなことは男性にとってはひとつの遊戯であっても女性にとっては一身一家の興亡にかかわる致命傷であります。

 第三は恋愛をもって遊戯とすることであります。処女時代の恋愛は真剣であるが、ひとたびヤケになった堕落女の恋は遊戯であります。無茶な考えをもった女にとってはこれほどおもしろい遊戯はないのであろう。無学な女は自分を顧みて悪い行為と思い、また恥ずべきこととするが、ちょっと学問のある女になると、なんとか自分を擁護するための理屈をつけるからタチが悪い、この悪玉恋愛家にも良心があるから、理屈をいうことによって逃げ道を見出そうとする。常習的に勝手な理屈を並べているうちに、いつの程にか自己催眠にかかって理屈と良心とが居所を交換してしまって、その行為が神聖なものと取り違えてしまう。(略)
 
 愛から愛へ、恋から恋へ、飛び回り、泳ぎ回って、名古屋から東京へ、東京から京都へ、京都から支那へ、それからフランス、それからロンドンと、鵬程二万キロ、訪欧飛行よりお尻が軽い……これはおもしろかりそうなことであるが、その末路の決算は差し引きして悲惨な成績を示します。つまり差し引き悲哀が残るから、そろばんを弾いて引き合わない取引である。それに気がつかないうちにがおもしろいので、つまり刹那の享楽に大局の損失を招くのでございます。(略)

 学校で教わった賢母良妻主義を実行するには、社会と生活との関係があまりに複雑である。赤手空拳で社会の水平線上へ躍り出ようとするには、懸命の努力と血みどろの奮闘を要する。
 文子さんが上京した時の覚悟は必ず幻滅を感じたに違いはない。実際において女が経済的に独立するには種々の障害に出っくわすのみならず、虚栄心は必ず経済上に穴を開ける。(略)

 はじめ彼女が射たれて死んだという電報に接した時、私は世間のある人のように、彼女の行動がアンな結論に到着するのは当たり前といったような冷ややかな感想を持つことができませんでした。
 私は彼女のために苦しみ、彼女のために憐み、そして偉大な教訓を得ました。どんな教訓を得たかといえば、前に述べた意見を帰納して次のような生きた問題を提供せられたのでございます。
 
第1、 離縁になった若き女性の進むべき道
第2、 職業婦人の守るべき品性
第3、 恋愛をいかに取り扱うべきか
第4、 女性の経済的自立
 
 こういうむつかしい問題が彼女の歴史からつまみ出されるのでございます。(略)

 繰り返してお断りをしておくことは、電文そのまま事実として論評したもので、いずれ中平さんに会う機会があったら、中平さんの名誉のために正誤もすれば抹殺もする考えでございます。
中平文子の著書『女のくせに』。タイトルが最高にふるっている。

花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

0コメント

  • 1000 / 1000