花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】「弁当を頬張りながら ―婦人問題を考えて―」


★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子の文章です。大正15(1926)年刊『ひげ』(改善社)に所収。
★関西大学法学部に在学中からすぐれた才知が評判となり、大阪朝日新聞記者にスカウトされた兼子は、『婦人』『週刊朝日』など多くの雑誌にも評論や随筆を寄稿。そこから評判の文章を抜粋して刊行したのが、兼子23歳にして初の著書『ひげ』です。売れに売れ、発売1か月弱で四版が発行。
★女性参政権の獲得を中心にバリバリ活動する兼子にとって、家事など時間のムダ。女性を家に閉じ込め、抑圧するものという考えでした。とくに炊事。米をとぎ、炊く日本料理は複雑で難しいし非文明、とまでバッサリ…。兼子自身は炊事とどう向き合ったのでしょうか?
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 永く閑却せられていた婦人に関する問題は近き将来にクライマックスに達する気運をはらんできた。しかし私は、マンに対するウーマンという区画を樹(た)てるそのことがすでに婦人にとっては一種の侮辱と考える。なんとなれば両性の間に溝渠を設けることによって両者に優劣があることを承認するという観念を与えるからであるが、しかし現実に男性が優越権を把握している状態のもとにこれもやむを得ないとあきらめつつ筆を執る。
 何事でも創業の時は忙しい。婦人問題は今や創始の際であるから、私たちは閑であってはならぬ。しかし家事の係累は手にまとい足に絡まってほとんど活動の自由を許さない。富める家も貧しい家もそれ相当に炊事、育児、衣服、交際等々の別に知識技能を有しない平凡な事柄で時間を徒費するがゆえに、静思(メディテーション)の暇もなければ、新知識を吸入する機会が乏しい。象牙の塔には女をして卑屈ならしめ怯懦ならしめる空気が漂う。(略)
 私はこの係累から逃れることが婦人運動の出発点と考える。出発の前提として第一に女を苦しめる炊事を廃しようと、共同炊事所に交渉して食事を委託したことによって私は救われた。下女の手数を省き、家の生活を保つことに成功した。今にして考えてみれば人口稠密な市街に竈や漬物桶やその他紛然雑然たる炊事の道具を山積して場所をふさぐという事柄がすでに非文明で、かつ不経済である。私は共同炊事所から運ばれた弁当を頬張りつつ、幸福の境遇に第一歩を印したことを感謝する。
 炊事委託によって時間を節約し下女一名を助かり場所の利用を増し、それにも増して喜ぶべきことは副食物の選択に毎日少なからざる頭脳を使ったことが既往を顧みて残念でたまらないと同時に、将来を思って勇躍するほどうれしい。利益はまだこれで尽きぬ。大量購入によって食事が低廉になり、専門家の調理によって食味が旨くなり、月末に薪屋や醤油屋や米屋その他数十件に支払う手数を省き、さらに栄養の研究により活力素を十分に摂取することを得、食事の分量と時間が定まって適当なる食欲(アパタイト)を誘い出し、体はみるみる健康となり、一家は嬉々として春風常に堂に満つという楽土に入ることができた。(略)
 吾邦で改良すべきものは甚だ多いが台所の働きは私を慄然たらしめる。日本料理ほど複雑にしてむつかしいものはない。試みに欧米の婦人をしてご飯を炊かしめよ。それは十日や半月の練習で水加減火加減のわかろうはずがないほど超科学的である。米をといだり釜を洗ったりすることの原始的非文明は驚かされる。私は生まれてかつて台所の用事に携わったことはないが、この主義において一家を説いて全員の賛成と支持とを得ている(略)
 私は炊事委託によって三時間と幾十円の節約をなし得た。この時間と金とは有効に意義あるものに使用すべく考えている。私どもの頭上に落下する問題は多くて急を要する。平凡なことに使う頭と手とはこれを高等なことに使うことによって婦人の地位は向上する。炊事委託はその一例に過ぎぬが、私どもは手足の桎梏(かせ)を取り去って生々溌剌たる世界に活きねばならぬ。
 今し運ばれた弁当の箸を取りながら、かく家族と語り合ってとみに頭脳のすがすがしさを感じた。
アルミのお弁当箱は大正時代から、だとか。※写真のお弁当箱は筆者のものです。

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