花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】「汎太平洋婦人会議への往路」

★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子の文章です。昭和4(1924)年『女浪人行進曲』(婦人毎日新聞社)に所収。
★関西大学法学部在学中、優れた文才が話題となって大阪朝日新聞記者にスカウトされた兼子は、たちまち花形記者に。ときにユーモアを交えた明快かつ鋭い視点が人気でした。
★しかし、当時は今以上に才気あふれる若い女性が活躍しにくい時代。兼子は男性メディアから卑劣なセクハラ攻撃を受けるようになり、2年で退社に追い込まれます。このときの怒りは、著作『怪貞操』と同名のレコードにぶつけました。職業婦人の権利擁護を明晰な論旨で訴えて辞表を提出したのです。
★その後は国際ジャーナリストとしても縦横無尽に活躍。ここに紹介するのは、ハワイで開かれた汎太平洋婦人会議への参加に際して書かれたものです。
★兼子の活動期間は20代前半から27歳で急逝するまでのわずか数年間でしたが、普遍的な言葉はいつでも新しい光を放っています。
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 私は今、日本に別れてハワイへ向かいます。
 汎太平洋婦人会議に臨む日本代表には大学教授もあり、女医もあり政治家もあり、外国の博士号を持つ人もあり、各方面の知識を嚢括(=括嚢・かつのう。含めること)した二十五人の一団が細胞として、それぞれの部門を担任して演説もし、討論もするのであります。(略)
 
 
 しかし、顧みれば私たちの提げていく荷物はムサ苦しいものばかりです。婦人参政(公民権)、廃娼(婦人売買禁止)、女子高等教育(男女共学)、法律上婦人の差別撤廃(特に民法刑法治警法)、婦人児童の深夜業、家庭における妻の地位。これらは国際的に恥ずかしい問題であり、文明国にない日本の純国産品である。こんな厄介なものを負わされて日本の体面を汚さないように会議に臨むことは、並一通りの気苦労ではありませぬ。
 
 日本が国際連盟に提案して通過しなかった「人種平等」を人類愛の理性にうったえて、婦人の力で解決してもらいたいと要求します。(略)
 
 婦人会議といえば権威のないもののように思うのは、男子万能の日本で想像するからであって、彼女らは参政権をもらっているから、婦人の世論を動かすことは外交の半分を動かすことになります。(略)
  アメリカ提案の不戦条約も成立しそうなことは喜ばしい。外交官は条約を締結することも上手なら、これを破棄することはさらに上手です。不戦の精神を維持する役目は、婦人の力に俟(ま)ちます。
 
 

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