花束書房

幕末→大正期の女性史マガジン■北村兼子研究(復刊)■編集・出版業(準備中)。

【北村兼子】婦人の願い

★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子の文章です。昭和5(1930)年刊『地球一蹴』(改善社)に収録。
★関西大学法学部に在学中からすぐれた才知が評判となり、大正14(1925)年に大阪朝日新聞記者にスカウトされた兼子は、法学・政治・経済などの幅広い知識を駆使して取材・執筆活動を開始。明快かつ鋭い論旨、ユーモアを交えた小気味いい文章を武器に、ジャーナリストとして活躍しました。
★女性の政治参加を訴え続け、昭和3年からは国際的にも活躍。文字通り世界中を訪ねて各国の女性たちと連帯し、その見聞をまとめた評論・随筆などを収めたのが『地球一蹴』です。兼子がもっとも強く訴え続けた婦人参政権について述べた「婦人の願い」より抜粋します。
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 婦人参政権の要求――といった言葉は、日本婦人に荒々しく響くかもしれないが、旧式な婦人が想像するように、無断で衆人環座の中へ飛び込んでいきなり剣舞をするような無茶なものではない。
 婦人運動ほど世間から誤解を受けているものはない。男性から誤解されるのはあるいは止むことを得ないが、同性仲間の旧型婦人からさえも、あばれ者のように指弾されるのは心外の到りではあるが、現に日本婦人の悪い固まりに、旧道徳に固められている状態を見ては、止むに止められぬ私たちの運動がある。私はいまベルリンの万国婦人参政権大会から帰って、日本の婦人たちに奮起を願いたいと思うのは、決して洋行帰りの新知識を振り回す考えでも何でもない。ヨーロッパから故郷の日本を顧みた時は、どんなに悲惨に私たち同性の生活が目に映るかを想像してもらいたい。
 この運動は少数の力ではなし遂げられない。人数が多くなればなるほど、幸福の分配が早くて多い。多数婦人の諒解と賛助とを得て、働きたいのが婦人運動者の願いである。この願いは何の私心も挿まれていない。
 婦人参政権を獲得しても、焼いても食べられず床の飾りものにもならないものではあるが、婦人は家庭を清くせねばならぬ。子どもを愛撫せねばならぬ。老人を養い、良人を助けねばならぬ。だから参政権が必要である。その反対に家庭を打ちこわし、子どもを川へ投げ込み、老人を山に捨てて顧みないという考えなら、参政権なんかを得て、身の煩累を増すことはつまらないことである。
 参政権を得た国の婦人はどんなことを考えているか。それは後に述べるような平凡極まる題目であるから、過激どころか極めて保守的のものである。男子として保守的な行動でも、これを婦人の口から唱えられると過激とみられるのは、日本における不思議である。不思議とばかりでは済まされぬ。私は日本婦人のために悲しむ。
 平和を唱えるものが危険思想であり、戦争を叫ぶものが愛国者であるということは、婦人の諒解できないところである。婦人の平和論は過激思想に根を下ろしているのではなくして、人類福祉のために戦争を忌避するのである。私たちは戦争の萌芽を刈り取って子孫に禍根を残してはならぬ。
 私たちとともに、ベルリンに集まった世界四十八国の代表者のいうところを要約すれば「平和と繁栄」戦争を避けて文明を楽しみたい。「家庭生活の負担の軽減」物価の調節生活の合理化。「男女の政治的平等」婦人を含む普選の断行世界的実現。「法律の性別撤廃」刑法民法などにおける男女平等。「住宅の改良」健康と清潔は家庭から。「廃娼」「教育の男女平等」「保健及び社会廓清」「婦人小児保護」「政治の純真」「消費節約」「寡婦及び老人の扶養」といったような、人道上から何人も異議のない平凡な問題ばかりで、危険思想や過激手段が潜在する余地のないものである。
 婦人運動をもって、婦人の権益を男子から奪うものとする人もあるが、これも誤解である。社会は男女両性の肩によってかつがれている。一方の弱いのは他方の苦みである。婦人の力強くなるのは男性の幸であり、子どもの福である。
 日本の女性たちは早く奮起して、早く社会の不道徳を掃除すべき役目がある。
 洋行戻りの私の口から、どんな新しい意見が飛び出して人を驚かすとか期待せられたお方に対して、こんな古い意見を書いて皆さまを驚かした。けれども穏健な婦人運動は華やかではないが尊いものである。日本婦人は公共義務に向かって穏やかな動きを続けていただきたい。
当時の兼やん

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